Tuesday, August 14, 2012

熱中症


最近確かに暑い日々が続いているようだ。私はそれほど極端に長生きしていないが、「昔より」暑くなったようなきがする。それともそう感じるのは単に体力が段々と衰えてきたからか。
この体力はは色々なものに対する「鍵」ではないかと最近ますます思うようになった。

暑い時熱中症になる可能性は無論高くなるし、熱中症にならないような「免疫」当然ないが、今毎日ニュースにでるお化けのような「熱中症」は心配であるならば→心肺機能を少々強化する事はなにより先だと思う。
日頃適度な運動をすれば、それはテレビや雑誌に出てくるやすぽい「ダイエット効果」、美容のためなどではなく、自分のエンジン=心臓+肺を強化する事になる。心肺機能を強化すれば「身体能力」が上がり、実際より多くの運動量が耐えられるほか、エンジンにも「冷却機能」が付いているから暑さに対して「強く」なる。人間はオートバイ=空冷と自動車=水冷の「合体型」と考えればよいでしょう。

だがオートバイも自動車もずーと走らせないで止めておくだけでは確実調子悪くなる。
自動車=「動く車」だ。
人間は 「動物 = 動く物」だ。
現在の文明社会における座りぱなし、兎に角何でも楽にすることを求める事は的外れだと思う。日頃「動く物らしく」に振舞っていれば(少々運動すれば)、冷却機能の心肺機能も順調に働くから、極端な環境におかれない限り熱中症はメディアで騒いでいるほど心配しなくてもいい筈・・・

Saturday, August 11, 2012

消費税 - 医療費

今朝のニュースによると消費税の引き上げが生活の全く困らない人により決まった。
めでたし、めでたし。
増税による増える収入は医療/社会福祉に当てる筈だと聞いた。

元々年々右肩上がりに増える「医療費」=出費に根本的な問題があるように感じる。
医療費は一直線に増える事を裏返すと、国民の健康状態は一定の比率で悪化する事になる。あるいは、それを認めたくないならば、一回一回の「治療」に使うお金をどんどん多くなる。

いずれにしても大問題だろう。

この話題についてすでに複数回発言(つまりブログで***書いた***)した:
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/54973580.html
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/54518050.html
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/55296686.html
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/6719366.html
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/55719947.html
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/60598009.html
等。

どんどん増える医療費を賄うように増税するのも結構だが、国民は余り医者の世話にならないようにしたほうがずーと賢いだと思う。
「転ばぬ先の杖」

東洋医学は正にその精神を貫いているし、東洋医学の「知恵」は無料で配布すべき「国民の知的財産」だと思う。それに関してにも既に書いた:
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/63046030.html
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/61799185.html

政治家勿論だが、国民もこう言う当たり前の事 = 常識が分からないのは私はどうも理解出来ない・・・

Friday, July 20, 2012

日本人のアイデンティティ - それとも分裂症?

English: The Japanese table, written by Hiraga...
English: The Japanese table, written by Hiragana, Katakana and Romanization of Japanese. 平仮名(ひらがな, Hiragana)、片仮名(カタカナ, Katakana)、ローマ字(ろーまじ, Rōmaji)の日本語一覧表。 This version fixes the katakana for i (イ). (Photo credit: Wikipedia)
English: Mangetsuji in Otsu, Shiga prefecture,...
English: Mangetsuji in Otsu, Shiga prefecture, Japan. 日本語: 満月寺の浮御堂, 滋賀県大津市 Camera: Sony NEX-5 Lens: Sony SEL1855 (Photo credit: Wikipedia)
English: Todaiji in Nara, Nara prefecture, Jap...
English: Todaiji in Nara, Nara prefecture, Japan 日本語: 東大寺 金堂, 奈良県奈良市 (Photo credit: Wikipedia)
NASA Satellite Image of Japan Captured March 1...
NASA Satellite Image of Japan Captured March 11, 2011 (Photo credit: NASA Goddard Photo and Video)
日本は長い歴史(アメリカより遥かに長い、ローマより北の文化圏よりも長い)を持っている。日本人は島国に住んでいるため特殊的な立地条件でそれこそ長い間然程「外国」との接触は例えばヨーロッパ中心部より遥かに少なかったため、限定的な意味では「単一民族」である。
その背景の前で外から余り邪魔されない、じっくり大変古い伝統が育まれてきた。例えその元は日本のものではないにしても - ここ私は職としている鍼を挙げられる - 数百年から千数百年の間極めて特殊の技術、考え方などが発達して来た。大和心 →
まと‐ごころ【大和心】(1)「やまとだましい」1に同じ。大鏡道隆「大弐殿、弓矢の本末(もとすえ)も知り給はねば、いかがとおぼしけれど、―かしこくおはする人にて」 ⇔漢心(からごころ)。(2)日本人の持つ、やさしく、やわらいだ心情。石上稿(本居宣長)「しきしまの―を人問はば朝日に匂ふ山桜花」(広辞苑より)
その伝統的技術や独特の考え方は世界に披露して大変誇らしめられると思う。

こんなに輝かしい起源(今風で言えばルーツ=roots= 根っこ =origin) があるのに、私は日頃何時も、そして過去30年を通してますます強く感じてきたのは:日本人自身は自分のアイデンティティを放棄し始めている(してしまった!)のではないか。医学的で毎日目の当たりにして、ニュースで見る、新聞で読む「国民の症状」は人格障害(昔風で言えば分裂症)と称せざるを得ない。
妙な横文字言葉アイデンティティは辞書によると:

【名-1】〔人やものの〕正体、身元◆その人が誰で、そのものが何であるかということを表す性質や条件。
例文:"A man who doesn't have a recognizable identity is called John Doe." 身元不明の[どこの誰か分からない]男性はジョン・ドウと呼ばれる。
【名-2】〔ある人やものが持つ他と異なる〕独自性、固有性、アイデンティティー
【名-3】《心理学》自我同一性
【名-4】同一性◆どのような状況にあっても、ほかのものと同一であるという事実や、同一であるための条件。

例えば、今日治めた翻訳の仕事(結婚証明書のドイツ語訳)の中に当然日本の住所が出てきた。私は(独断で何時もそうしている)日本語で表示された順番に翻訳する。そうしたら翻訳会社から問い合わせが来た:「日本語の住所の順番でよいでしょうか?2-Chome xx Sh***ki, N***-ku, Tokio ??」参考までその翻訳会社に以下の返事をした:

「はい、よくそのような形で記載されるが、私はそれが良くないと思います。
日本の住所の日本のルールの則って作られた。海外向けそのルールを全て破棄してしまうのは可笑しい。
ドイツ国内の住所を外国向けに逆さまに書くことは見た事ありません。

そして、もし例の日本の住所宛に何か郵送された場合、それを配達する人も又日本人です。その日本人がなれた形で表すべきだと私は信じています!

* しかし、日本人は自分の住所を横文字にするとどうしても逆さまにしたがる、
それが「正しい」と見なされることが多いですので、「安全」のためご指摘通り
逆さま表現にして下さい。*

(私は個人的にこれが日本人が自分の同一性を失われていないにしても、お粗末
にしていると思 います。
広辞苑より:
「イデンティティー【identity】人格における同一性。ある人の一貫性が成り立
ち、それが 時間的・空間的に他者や共同体にも認められていること。
自己同一性。同一性。主体性。」

このような発言をすると嫌われるのは承知しています。
追加:
無論***日本語の記載***はその順番になっています。
こちらの権限で公式の証明書の記載を変更する資格/許可ありません。

如何でしょうか。日本人は自分の住所を日本人向けと外人向け二通りを使いたがるのは「分裂症」ではないですか???

別の話。
日本人の殆ど(!)は英文を読めるか(例えば鍼治療に関する参考文献を薦めたい時)や英語を話せるかと聞くと、いっぱい皺をよる顔をして、まるで毒蛇を差し出されてしまったような反応をする。
しかし(!!!)商品名、用語、ファション等には必要ないのにどうして横文字擬きやそ
の横文字「日本語化」=カタカナを使いたがっている。
例えば:私は知っている限り日本製の車に***日本語***の名前(横文字で書いても)を付いている物は一台もない。
政治家の馬鹿ども自分が意味不明な戯言で空想話しをしている事を「隠す」ために先ず一定の年齢を超えている人たちは先ず理解出来ない横文字言葉をカタカナで書いて、自分(政治家)は偉いと見せたがる。例えば「マニフェスト」(例は幾ら(!!!)でもある。)

T-シャツにファション=模様として何かを書きたがる。漢字は滅多に見かけない。どうしても横文字でないといけないらしい。何と書いてある事は - お言葉ですが - くそ食らえ。おまけに書いてある「英語」は大半の場合間違っている。それも「興味ねー」

店の看板も同様。近くの薬局の看板には "drag store" と書いてある。
drag  → 
【名-1】妨げ、障害、足手まとい
【名-2】〈話〉〔仕事や人などが〕退屈なもの、うんざりさせるもの、面倒なもの
【名-3】引きずる[引っ張る]こと[動作・音]
【名-5】ゆっくりした[苦しそうな]動作
【名-12】〈話〉〔たばこなどの〕ひと吹き
【名-13】〈俗〉〔男性の〕女装
【名-14】〈米俗〉ドラッグレース
【名-15】〈俗〉通り、道路◆【参考】main drag

看板を作るのお金が掛かる。ならばこの単語一個ぐらいは辞書で確認すればいいのに・・・

最悪、日本を世界の前に笑いものにしたのは先日ここで見た:
http://en.rocketnews24.com/2012/01/18/wtf-is-a-fuckin-sale/
それに対して私は日本人をかばって弁解をして(英文):
http://nyuwa.wordpress.com/2012/02/24/fuckin-sale/

fucking → (発音を反映させるため時々 fuckin' と言う形で書くこともある。
【形・副-1】〈卑〉〔強意語の〕ひどい、とんでもない、いまいましい◆怒り、苛ち、軽蔑などの気持ちを表す。◆【同】damn
【形・副-2】〈卑〉〔強意語の〕全くの、すごく、すごい◆程度が並外れていることを表す。


このような形でお話しは永遠続けられる(ブログ上で関連する愚痴は所々にある)。鍼灸に関しても20年以上まえから、「日本人よ! - もっと誇りを持て、自分の伝統と良さを認識して世界に示して下さい。」といい続けているが、どちらかと言えば嫌われる。
だが、他の分野にも日本人の「日本(人)らしさ」をどんどん放棄してしまうのを痛感している。いいもの沢山あるのに何でそんなにお粗末しなければならないのだろうか。

自分達の知的/歴史的財産に振り返って見て下さい。今の国の「指導者」、識者、エリートに付いて行けば地獄に導かれると予想する。
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Monday, July 2, 2012

患者様 ・・・


この言葉は最近流行っているように見受けるが、どうも「腑に落ちない」。
* 「腑」は無論五臓六腑の「腑」であって、飲食物が臓器の働きによって「腑に落ちる」=消化されて伝播される。転じてある概念/思考などを十分理解しない/出来ない場合それが「腑に落ちない」。
私は「患者様」と言う表現が「腑に落ちない」。十分理解出来ないし、その使い方にも賛同出来ない。

患者は 「患っている者」であるのみ。
同じく医者は「医者様」ではない!
私の好きな言葉:「医は病を治す工である」(出典不明)
医も患者も普通の人間だ。神様、上様、殿様類ではない。
「医は病を治す工である」 - 私もその通りだと思う。
ならばその延長線で「大工様」で言う?言わないはず。
「八百屋様」???変だ。
お客様 - ま、時代の流れにてそれは何とかなれている。

当然ここに「あからさま」になっている「有様」は日本の社会に於ける上下関係だ。
「上様」では文字でさえそれを指している。
お客様はお金を使って自分の店の商品/サービスを購入するからある程度の「見上げるありがたい存在」かもしれないが、「患っている者」「病を治す工である=医」は先ず同等の人間同士である。適切な「治療」を可能にするため不可欠の信頼関係/人間関係は酷く上下の勾配に影響されると関係者の両方とも酷く歪んだ世界観で正しい見方=判断できなくなってしまうだろう。

時代とともに言葉の意味や使い方が変わってしまうのは承知の上だ。
例えば「貴様は何を考えているか」(今、私の発言に対してそう思う人もいるに違いない)と聞くと今日現在では余りいい気分ではないだろう。

き_さま【貴様】→♪[0](代)二人称。(1)男性がきわめて親しい同輩か目下の者に対して用いる語。また、相手をののしっていう時にも用いる。おまえ。「―とおれとの仲ではないか」「―それでも人間か」(2)目上の者に対して、尊敬の意を含めて用いる。「―は留守でも判は親仁の判/浄瑠璃・油地獄{下}」「(髪ナドヲ)―ゆゑに切る/浮世草子・一代男{四}」〔中世末から近世初期へかけて、武家の書簡などで二人称の代名詞として用いられた。その後、一般語として男女ともに用いるようになったが、近世後期には待遇価値が下落し、その用法も現代とほぼ同じようになった〕

私は患者は患者だ。
患者様ではない。
気をつけないと患者様は治療の妨げになり得るのではないか・・・
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Thursday, June 28, 2012

鍼灸師 - 伝統技術の売り出し


鍼灸治療は本国で1500年間絶え間なく使われ続けた事がこの治療法の臨床効果を立証していると思う。今更に最近代替医療がブームになっているから町中に散見する「宣伝」する必要がないはず。
しかし、私の個人的の印象(意見)ですが、町中に散見する「宣伝」が兎に角「商売っ!!!」と色濃くでているのは品がない。

最近本業(翻訳)の収入が減り続けているため試しに鍼灸師として「アルバイト」を探し始めた。
先日初めて何処かの治療院(殆ど整骨院しか求人案内出さない・・・)応募し、電話では先ず私は「営業」も出来るかと聞かれた。
営業 = 患者を来させる。具体的その治療院の付近で路上でビラを配る事。「らっしゃい、らっしゃいませ・・・」スタイルで。

それは私個人の信念(http://www.einklang.com/Kanpo2003.htm)に反して、治療者がやるべきではないと信じている。その報酬は最初の3ヶ月で時給840円、後に凡そ1000円、もしかして1500円まで上げられる。雑誌やオンラインで色々と探していたので、それはやはり「相場」らしい:時給900-1000円程度。
ある人材派遣会社に言われた:それは需要と供給のバランスによるものだ。
そうかもしれないが、看護婦の時給は約2000円にもなり、大工さんもそれぐらいかそれ以上だ。私の場合、過去28年余り勉強し続けて、ある程度の専門職を手にして、常に治療に関して理想論を追い求めた。自分は決して優れた学者でもないし、他に類の無い職人でもなく、まともな技術を身につけるまで後200年の修業が必要だと思う。
但し何の修行や勉強もしないでコンベニのアルバイトで同じ時給頂けるのも事実だ。そうであれば長年追い求めた理想論や信念を全て放棄する必要があるような仕事をしないほうがいい。コンベニで働けば同じ時給で信念や技術の問題/心配なにもないから。

日本に優れている伝統技術がある事の認識が不十分のため、「各種保険取り扱う」と言う決まり文句=保険診療=鍼灸治療には「許されない」ものや最新○○療法(正体不明なものも多い)に目が奪われる事が残念ながら多いように見受けます。どちらかと言うと現在東洋医学の良さに注目され、国民に比較的頻繁に使われるになったのは欧米の方です。
日本は伝統的な宝物の宝庫である事が忘れられてしまい、それなり特殊の技術であるためやはり一定の値段も付くのは自然でしょうy。

今風何処見ても「治療」=ビジネスと言う概念にどうも賛同できない。
治療するのは治療者にとって召命であって、営利目的の活動ではない。
そう言う意見を公で言いと「異端者」として取り扱われる。

治療者は営業をして、商売上手で大儲けする事は私の感覚で何となく聖書に書かれている金持ちの話に聞こえる。営利目的で治療すると治療の目的と治療者の本来の姿が見えなくなるのではないかと心配する:

「金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しい。」
新約聖書(マタイ19章16-26節)に書かれている。
(一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。)

そして、患者は患っている者!お客様のような「患者様」ではない。患っているから此方の能力にある限り助けるべきだ。
患者を助ける「方法」や「概念」も又沢山ある。東洋医学において本来患者をとりあえず丸ごと=全身+精神を診るべきだ。上記の保険診療では「普通」身体の「一部位」=幾らのは2千年以上の伝統を踏み躙るような行為だと思う。
先日面接しに行った所(当然)もそう言うスタイルの治療であった。その上、時間や治療内容に関して極めて細かい「メニュー」があった:時間は30-45-60分等分単位で区切られ、それに相当する治療費が5円単位で設定されている。時間は必ず厳守する事。概念:患者が「30分」分のサービスを購入するから、治療側は正確30分のサービスを提供する事。その30分の治療は問診、着替え等を含む。この患者(様)はそれ以上の治療が必要としても関係ない。
更に、患者が来院すると手が空いている先生に「治療」される。治療者は沢山の症例を経験出来ると勉強になるそうだ。
しかし、東洋医学において治療者-患者の間に親密な人間関係が築くのは基本で、ちゃんとした治療にも不可欠だ。ここで言うまでもないが、五行説によって五臓六腑=身体の要素は必ず精神的の要素と連携しているし、「治療」は必ず身体+精神を含む包括的で行うべき。来院する患者が毎回別の治療者に診て貰うならば、先ずその患者自分の精神的な要素を公表しないだろう。まして、カーテンでさえの区切りのない大部屋では・・・
よって、又東洋医学の大事な特徴を放棄する事。
患者様はそれ満足するらしい。来院する大勢はそれを示唆する。
ならば、「患者様」も東洋医学の良さを破壊/放棄に関して責任あるように思う。

私は馬鹿だから仕方ないだろうが、「治療」とは来院した患者に必要なものを全部施す事だと思う。身体+精神を含む包括的で行うべきで、患者が購入する時間ではなく、必要な時間だけで実施すべき。単純の症例では比較的短い時間 - 私の感覚では最低40-60分の事 - 難しい症例はより長い治療時間が必要。終わるまで何分は設定しない。特に精神的の問題があれば「治療」より「お話」がどうしても長くなる。私はお話は治療の不可欠の一部と思う。
治療は常に一つ。つまり、一回の治療は幾ら(私の場合4000円)。時間と関係ない。
患者を治療するのはこちらの使命だから、一つの治療完成させなければならない。これに関してよく同業者に怒られる!

同じく同業者に怒られる行為は:患者に何か(鍼、艾等)を販売→どちらかと言うと「分けてあげる」する際、私は品物を原価の引き換えで渡す。儲けようと思っていない。

それは自分が悪い。明らかに。
でも、今風の東洋医学(の良さ)の叩き売り / 売り出し には賛同出来ない。
何十年を掛けて培われている専門職の技術を全く評価されない(時給900円)のはそう言った専門職を馬鹿にする事を意味する。私の事ではなく、真面目に東洋医学を営もうとする者。
職人を馬鹿にしているのは当然先ず行政→鍼灸には保険が使えない。(お言葉ですが、私は柔道整復師は鍼灸師の百倍の知識/技術を持っているとは信じられない。
そして、忘れたはならないよ!、「患者様」!!
30分のサービスを購入したり、兎に角安上がりの商品(=治療)や意味不明の「癒し」や「ヒーリング」に夢中になっている間、気が付かぬまに目の前にあった、自国の伝統的な技術をなくなってしまう。絶滅したものは戻ってこない。
その内に鍼灸治療を受けたいならば、欧米に渡るか中国風の拷問治療を受けることしかない。

現在多数の業界に渡り、「安く、安く、もっと安く」を求めている間、日本の確かな技術と品質を提供してくれる中小企業が片っ端から潰れ、最終的に品質の悪い、チャチな中国製海賊商品を手に入らなくなる。

私は外人だから何も分からない(よく言われる事!)が、こう言う時代の流れを見ると心が痛む。

Saturday, June 9, 2012

国民の知的財産

東洋医学、とりわけ鍼灸治療及び漢方薬は凡そ本国で1500年間絶え間なく使われ続けた事がこの治療法の臨床効果を立証しています。日本に鍼灸治療のような優れている伝統技術が沢山ある事の認識が現代の国民の中に不十分のため、外来のものや最先端の最新○○療法に目が奪われる事が残念ながら多いように見受けます。医療や福祉は財政難を直面しているから今こそ東洋医学の良さに注目されべきでしょう。しかし、東洋医学の良さに注目してしまうのは日本国民よりも欧米諸国の国民のようです。

日本は伝統的な宝物の宝庫である事が多くの国民が忘れられてしまうのは私にとって心を痛む事です。
上記の如く鍼灸(等)は本国で1500年間絶え間なく使われ続けているから、本来今更に「宣伝」などする必要がありません。私は開業の時こちらの治療院の「モット」を
*** 昔も今もよく効く – はり・きゅう ***
設定して、ゴム印やレターヘッドに使っている。

そして、治療するのは治療者にとって召命であって、営利目的の活動ではない。
東洋医学の知恵は全国民の共有知的財産であって、それを職業として使っている人は理想的では国民に無料で提供すべきだと考えています。
患者を治療するのは特殊な技能を要する有料のサービスとしても、その中に患者が自己管理できるような知識/知恵があれば何の躊躇いもなく患者に教えるべきです。
営業のため患者を成るべく長く通わせるのは治療者の使命に反するのではないでしょうか。

これが現在の主流である事実を毎日目の当たりにしないと行けないのは実に悲しいです。

経営と治療

自分の治療院はもう17年間を「経営」している。と言っても経営の事は全く分からない。今まで生活の基盤は翻訳であったため治療院は赤字でさえならなければ別に設ける必要もなかった。過去にいつも翻訳は自分の「本業」(飯の種)であって、鍼灸が私の天職だと思い込んでいたから、常に治療に関して理想論を追い求めた。
理想論も又難しいはなしだが、私は決して優れた学者でもないし、他に類の無い職人でもない。後者は特に残念です。自分は後200年の修業が必要だと思う。
No problem!

最近本業の収入が減り続けているため鍼灸師として「アルバイト」を探し始めた。
先日初めて何処かの治療院(殆ど整骨院しか求人案内出さない・・・)応募し、電話で僅かにお話をした。相手から先ず私は「営業」も出来るかと聞かれた。
営業 = 患者を来させる。
それは私個人の信念(http://www.einklang.com/Kanpo2003.htm)に反するとは仕事探しのばでは言えないかもしれない。
だが、自分が人生を通して大事にした信念は時給凡そ1000円程度で放棄する必要があれば、コンベニで同じ時給で葉たらいたほうが良い。

今風何処見ても「治療」=ビジネスと言う概念にどうも賛同できない。
治療するのは治療者にとって召命であって、営利目的の活動ではない。
そして、患者は患者!お客様のような「患者様」ではない。患者は患う者です。患っているから此方の能力にある限り助けるべきだ。

治療者は営業をして、商売上手で大儲けする事は私の感覚で何となく聖書に書かれている金持ちの話に聞こえる。営利目的で治療すると治療の目的と治療者の本来の姿が見えなくなるのではないかと心配する:

「金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しい。」
新約聖書(マタイ19章16-26節)に書かれている。
(一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。)


私の「鍼灸仕事探し」は難しくなるだろう。